ブルーインパルス60周年記念モデル始動!
2019.10.11 UP

こんにちは、2代目代表の橋本です。
そろそろ年末の足音が近づいて来ましたね。来年2020年のビッグイベントと言えば、もちろん東京オリンピックですが、同時に、航空自衛隊のアクロバット飛行チーム「ブルーインパルス」が結成60周年を迎えるメモリアルな年であることを皆さんはご存知でしたでしょうか?

ブルーインパルスは、1964年の東京オリンピックの開会式にて、国立競技場上空に、スモークによる5輪の輪を描くという、当時のアクロバット飛行技術では大変困難であった偉業を成し遂げ、国民に多くの勇気と感動を与えたことで、戦後復興の象徴となりました。

そんな東京オリンピックの56年振りの再来と、結成60周年を迎えるブルーインパルスの奇跡的なめぐり合わせが、いよいよ2020年にやってくるのです。

弊社ではその記念すべきブルーインパルス60周年のスペシャルウォッチを製作すべく、2018年より構想をスタート。航空幕僚監部広報室からの全面協力をいただきながら、その開発を進めてきました。

ブルーインパルス企画書

私たちが手がける「自衛隊時計」は、もともと自衛隊の任務でも使用できる民生品の腕時計として、2005年に防衛省共済組合登録商品となったこところからスタートしています。
当初は共済組合内だけでの販売であったものが、一般販売が解禁されると、腕時計を通して自衛隊の“広報”としての役割も担うようになりました。
開発においては、実用面での現場隊員からのヒアリングに加えて、本省幕僚監部による監修を得ることで、ブルーインパルスや航空救難団といった日本の自衛隊ならではの特殊部隊専用モデルが誕生してきた経緯があります。

歴代ブルーインパルス

弊社ブティックにて展示している歴代のブルーインパルスモデル


今回本モデルの製作にあたっては、航空自衛隊広報室を始め、元ブルーパイロットの現役空自隊員、そして初代ブルーの整備員であった空自OBの方など各世代、各方面への取材を重ね、その歴史を紐解く作業から開発がスタートしたのでした。

取材を通して、今の若い世代のブルーインパルスファンはもちろんのこと、現役の若手空自パイロットでさえ、ブルーインパルスの過去の歴史をほとんど知らない人も多いということを知り、第1話では、航空自衛隊提供による貴重な画像とともに、ブルーインパルスが過去にどのような歩みの中で現在の姿にいたったのか、その60年の歴史を振り返ります。

ブルーインパルスは、航空自衛隊松島基地に所属するアクロバット飛行隊で、正式部隊名は第4航空団第11飛行隊といいます。

現在私たちが目にするブルーインパルスは、1995年から運用が開始された第三世代の機体である、川崎重工業製の練習機T-4が使用されています。
T-4は小型の機体であるものの、機体重量に対してのエンジン出力が大きく、歴代ブルーの中では最も機動性に優れていたため、現在演目の代名詞にもなっているバーティカルキューピッド(大空に描いたハートマークに矢を射抜く演目)や、スタークロス(大空に大きなスターマークを描く演目)など、小回りを利かせたスモークによる新たな演目が多く誕生しました。

T-4ドルフィンライダー

T-4特有の丸みを帯びた機体はイルカに形容され、パイロットはドルフィンライダーとしても親しまれている。
画像:航空幕僚監部提供

歴代ブルーインパルス

一糸乱れぬ編隊飛行を行うT-4ブルー
画像:航空幕僚監部提供


またT-4時代にはブルー至上初となる海外遠征飛行や、長野オリンピック開会式での展示飛行、また直近ではラグビーワールドカップでのフライバイなど、その活動の幅を大きく広げ、新たな境地を切り開き続けています。

ラグビーワールドカップ2019開会式 飛行演目「サクラ」

今年のラグビーワールドカップ2019の開会式でも披露された6機による飛行演目「サクラ」
画像:航空幕僚監部提供

ラグビーワールドカップ2019開会式 飛行演目「サクラ」

5機による「ワイド・トゥ・デルタループ」を披露するT-4
画像:航空幕僚監部提供

2011年の震災では、津波によりホームベースの松島基地が壊滅的な被害を受け、2年間もの間基地機能が失われるという大きな困難に見舞われたものの、それでもなお力強く空を舞い飛び、各地の航空際で展示飛行を行う姿に、多くの人々が勇気付けられたのでした。

現在T-4の運用期間は24年を超え、歴代ブルーの中では最長となっていますが、飽くなき挑戦を続ける姿は人々を魅了し続けています。


ブルーインパルス

(クリックで拡大/縮小)

画像:航空幕僚監部提供

ブルーインパルスパイロット 整備

(クリックで拡大/縮小)

T-4の前世代となる1982年~1995年の約13年半は、第2世代として三菱重工業製の練習機T-2が運用されました。T-2は練習機であったものの歴代ブルーの中では唯一アフターバーナーを搭載した超音速機であり、飛行性能はF-1戦闘機に匹敵するものでした。
音速飛行用に作られた、アスペクト比の小さな翼を持つ機体は、決してアクロ飛行に適しているとは言えない機体特性であったものの、T-2世代のパイロット達は試行錯誤を重ねて、その能力と個性を活かした魅力的なアクロバットを披露しました。

特に、アフターバーナーを使用した大迫力の360度旋回やトーチング(離陸時にスモーク用スピンドルオイルを燃やして炎を出す)は、今ではT-2時代にしか見ることが出来なかった貴重な歴史となっています。

超音速性能を備えた機体

超音速性能を備えた機体は、ブルー史上T-2だけだった。
画像:航空幕僚監部提供

トーチングによる迫力満天の離陸

アフターバーナーを使用したトーチングによる迫力満天の離陸
画像:航空幕僚監部提供

活動期間中は、2度の墜落事故に見舞われるなど、苦悩多き時代であったものの、戦闘機に限りなく近い国産初の高等練習機を使用したT-2ブルー世代は、終戦後アメリカによって長く航空活動が禁止されていた日本の航空産業の完全復活を広く世に知らしめるものとなりました。

アクロバット飛行チームは、パフォーマーであると同時に、自国の防衛力そして航空産業のレベルを国内外に誇示するという重要なミッションも担っています。その点では、T-2ブルー世代が“国産機”として残したインパクトと実績は大きいものでした。

富士山をバックに飛行するT-2ブルー

富士山をバックに飛行するT-2ブルー
画像:航空幕僚監部提供

T-2ブルーまではカラースモークが使用されていた

T-2ブルーまではカラースモークが使用されていた
画像:航空幕僚監部提供

そしてT-2からさかのぼる1960年から1981年の約22年間の間に運用された初代ブルーインパルスが、“ハチロクブルー”として親しまれた、米国ノースアメリカン社製F-86Fセイバージェットでした。(のちにライセンス供与により三菱重工業生産となる)

F-86Fは航空自衛隊の創設当時、1956年に米軍から供与された、国内初のジェット戦闘機でした。そして、当時第一線の戦闘機であった同機の飛行性能を研究し、最大限に引き出すとともに、戦闘機パイロットを育成すると言う目的で浜松基地に発足した、「第1航空団第1飛行隊」が、現在のブルーインパルス誕生のきっかけとなります。
F-86Fセイバージェットとパイロット達

F-86Fセイバージェットとパイロット達
画像:航空幕僚監部提供

ブルー史上唯一の現役戦闘機

ブルー史上唯一の現役戦闘機であったF-86Fセイバージェット
画像:航空幕僚監部提供

当時、アクロバット飛行は飛行訓練の正式な訓練科目ではなかったのですが、当時の教官パイロットが訓練の合間にループなどのアクロバット飛行を“個人的な練習”で行っていたところ、航空団司令の目に留まり、その年の秋に行われた浜松基地の開丁記念式典でデモンストレーションを行ったことがきっかけとなり、アクロバット飛行訓練が正式に認められることになったのでした。


そして、1960年にF-86F5機による正式なアクロバット飛行チームとして「空中機動研究班」が発足されると、米国管制官にも呼びやすいニックネームが必要ということもあり、当時第2飛行隊で使用されていたコールサイン「インパルス」と、機体の色であったブルーを語呂のよい形で繋げた「ブルーインパルス」のニックネームが正式に決定しました。

これにより、本格的な編隊アクロバット飛行訓練が任務として行われるようになると、デモンストレーションとしての飛行演目が次々に研究・開発されていきました。
ハチロクブルー時代に編み出されたローリングコンバットピッチは、その後のT-2、T-4へと連綿と受け継がれてきた、ブルーインパルスの伝統的飛行演目でもあります。

5-ship-loopを披露するハチロクブルー

5-ship-loopを披露するハチロクブルー
画像:航空幕僚監部提供

カラースモークをたきながら離陸するハチロクブルー

カラースモークをたきながら離陸するハチロクブルー
画像:航空幕僚監部提供

このころからスモーク発生装置の研究開発も行われ、編隊飛行時にスモークをたくパフォーマンスはすでに存在していたのですが、1964年の東京オリンピック開会式に突如現れた5機のハチロクブルーが、空の大キャンパスにスモークで5輪の輪を描き上げた姿に、大勢の国民はもとより、世界中のメディアが驚嘆したそうです。

なぜなら当時は、バラバラに飛ぶ飛行機が空中にスモークで特定の絵を描くなど誰も想像できない時代であったからでした。
この出来事は、まさにブルーインパルスのチームスピリッツでもある「創造への挑戦」を具現化した伝説として今なお語り継がれているのです。

この出来事がきっかけとなり、広報としての活動の幅を広げたブルーインパルスは、航空自衛隊が誇るアクロバット飛行隊として広く国民に知れ渡ることとなり、人々に感動や勇気を与える英雄的な存在になっていったのでした。

日本アルプスをバックに編隊飛行するハチロクブルー

日本アルプスをバックに編隊飛行するハチロクブルー
画像:航空幕僚監部提供

富士山をバックに編隊飛行するハチロクブルー

富士山をバックに編隊飛行するハチロクブルー
画像:航空幕僚監部提供

発足当時から、様々な挑戦や困難を乗り越え、命がけでパフォーマンスの進化に挑み続けてきたブルーインパルスの姿は畏敬の念に堪えません。

本来であれば、その60年を語るには本が軽く1冊は書けてしまうところを、わずかA4数枚程度に凝縮させてしまうのはとても忍びない気持ちですが、ブルーインパルスのこれまでの歩みを少しでも身近に感じて頂けると幸いです。
もし航空際や全国のイベントで大空を舞うブルーインパルスの勇姿に出会う機会がありましたら、ぜひその歴史に想いを馳せながらパフォーマンスを楽しんでみてください。

次回の第2話では、そんなブルーインパルス60周年の歴史に最大のリスペクトを込めた、KENTEXが贈るスペシャルウォッチの企画詳細を、スケッチとともに紹介していく予定です。

ご期待ください!!